NO49.手前味噌 何が大切か その8
手前味噌 何が大切か? その8
目的にあった施設を探してください。そしてお住まいの地域に必要な支援施設がなければ、足りない所はご自身で取り組む気概も必要です。私共の施設に遠隔地から通われている方も少なくありません。遠隔地で毎日通所出来無い分、ご家庭で必死に取り組んで、着実に進歩を獲得されているご家庭もあります。
私共コンパス発達支援センターでは、それぞれ個人の目標が細かに設定されています。これは私達が長きにわたって受験という結果が求めらる立場にあったからにほかなりません。曖昧な事が許されない立場にいた事が最大の要因であると思います。発達障がいの特性があっても、常に結果を導き出す為の取り組みを行う中で指導を行ってきたからだと思います。精神論を掲げ、美辞麗句を並べ立てるより、実力の養成が一番なのです。結果が出せなければ素晴らしい美辞麗句も色あせてしまうのです。口先だけで本質的な療育効果は得られないのです。
手前味噌ですが、私どもでは、どこ子がどの課題に取り組むかも決まっています。1ヶ月後に何をめざしているのかも決まっています。達成目標が決まっているからこそ、日々の取り組みも綿密に練られるのです。その取組みがあったからこそ、今年の年長さんが3名とも、全員小学校普通学級への進学が出来る事になったのです。3名の進学先の内、1名は私立小学校で、もう1名は国立大の附属小学校なのです。それぞれ発達障がいの特性あったお友達で、言語の問題やAD/HDと診断されていたお友達であっても合格できているのです。
言語遅滞のお子様も、私達に通所された日には、必ず新しい言葉を覚えて帰られます。発語がないお友達も、必ず新しい言葉を習得して頂いています。それは指導手法の違いや、技術の問題のみならず、しっかりとした指導案によりしっかりと積み上げをしている結果なのです。
ダウン症のお友達も、毎回幾つも新しい言葉を覚えてから帰宅頂いています。どのお友達も家庭での様子や態度が変わるのです。指導スタッフは、今日何をするのか目的をもって子ども達と対峙している結果です。大目標の為の、中目標、中目標の為の、小目標。この小目標を達成せずして、将来の大目標達成はあり得ないのです。指導計画・指導案なくして発達障がいの、効果的な知的療育指導はあり得ないのです。しっかりとされた取組みが行われている施設を探されて下さい。多くの施設はしっかりとした取組みをされているはずです。
私達の取り組む療育支援はあくまでも教育であり、レスパイトや見守りではないという理念の違いが大きいと思います。遊びではないのです。私達が取り組んでいるのは教育なのです。教室に慣れる為に、楽しく取り組むという事はあっても、遊びは殆どありません。遊びに来ている人は誰一人いないのです。目的が明確なのです。通所している子ども達自身何をしに来ているか感覚的にも既に理解しているのです。
お子様にとって、何が必要か、もう一度明確に保護者目線でのしっかりとした将来の指針を再確認して下さい。大切なお子様にとって何が大切ですか?何を獲得しなければなりませんか?多くの場合保護者の皆様は何が必要か知っておられるのですが、施設見学の際に、責任を投げ出してしまわれるのが一番の問題です。いつも申し上げているのですが「3つの あ」を思い出して下さい。「諦めない、焦らない、充てにしない」あてにしてはいけないのです。全ては保護者の責任であることを忘れてはなりません。預かってもらおうと責任を放棄するのと同じです。頼ってよい場合と、頼ってはならない事があるのです。保護者の責任においてしっかりと見極める必要性があるのです。
言語遅滞で言葉が殆ど話せないのに、集団指導を受けるのはナンセンスです。ほとんど徒労に終わる可能性が高くなります。発語ができない、意味一致ができない、言葉が遅いお友達がいきなり集団に入っても意思疎通ができないのでほとんどの場合失敗します。望ましい結果は得られないのです。心が傷ついてしまうのです。プライドを傷つけてしまうのです。集団に入れなくなってしまうのです。段取りを間違えると傷になるのです。人に無関心になってしまうのです。
言語の問題を抱えるお友達は、焦らずまず、しっかりと言語能力を習得し、コミュニケーション能力を養ってから集団に入る流れが理にかなっている指導順なのです。それを無視して支援を受けようとされる方がおられれば遠慮なく苦言を呈しております。最初は何事も手順が大切なのです。フライパンにいきなり肉を入れて焼き始めてから、油をいれるような物なのです。肉は焦げて、こびりつき、油が回ってせっかくのお肉も食べられなくなります。順序が少し違うだけでせっかくのお肉も台無しになるのです。
身体能力に問題があるのであれば、トレーニングを中心とした療育施設に通われるべきで、身体能力の向上がえられたいのに、絵画指導をしても身体能力の向上は絶対に得られません。こんな当たり前の事がなぜか責任を放棄した瞬間にわからなくなってしまうのです。あれもこれもあったほうが良いような気持ちになるのです。
例えば、AD/HDのお子様にどのような取り組みをするのか、指導側から具体的な説明がない場合、1年たっても、進歩の兆しは見えないのです。じっとできません。怒られてばっかりで、ともすると心がねじ曲がってしまいます。びくびくしたり、周りの様子を伺う事になります。適切な指導がない限り、奇跡が起こらない限り、改善の見込みはないと断言します。うろうろは止まりません。
お子様の為にどうするのか、今ご家庭には何が必要なのか、レスパイトか、見守りか、教育か、癒しか、身体訓練か、言語訓練か、1年後どうなっているのか、保護者としてどうしたいのか明確なビジョンが必要なのです。その目的の為の手段をどうするのか、今月どうするのか、今週はどうするのか、毎日何をするべきかしっかりともう一度よく考えて下さい。
そして冷静にもう一度よく状況判断をして下さい。自閉症の療育支援に来ている時に、英会話が果たして必要でしょうか??????スイミングをしてAD/HDが改善するでしょうか?集団療育が必要な人と、まだその域に達していない人の違いを理解して下さい。
その9につづく