NO47.個別支援計画の差 その6
個別支援計画の差 その6
学習指導に指導案があるように、療育支援にも、個別支援計画という物があり、それにのっとって、療育支援がなされる事となるのですが、ご相談にこられる皆様のお話しをお伺いする限りでは、施設によりその内容にも大きな差異があるように思われます。実際に拝見しているわけではありませんので、伝聞による推測となりますが、非常にアバウトな考え方を持って作成されたようなお話しも多くお伺いしており、具体的療育支援を得られないというご相談の多くは、非常にアバウトな支援計画しか存在しないという特徴が見受けられております。
レスパイトや見守り型を除外して、子供達の進歩と発展を目指す療育であれば、個別支援計画がペラ1枚等という事はありえない事であると断言致します。本来その子の問題はどんな事で、何が出来、何が不足しており、今まで〇〇な治療を受けてきたが、今後〇〇を目指す。保護者の希望は〇〇で、そのために何をどのようにするか詳細に計画し記載されていなければならないと思います。
ペラペラコピーを持参された方がおられましたが、現状認識であり、具体的手法の記載は皆無といったもので、職務怠慢ではないかと感じるような計画書の写しを何度が見た事があります。個別支援計画書には現在正式な型式はありませんが、少なくともA4表1枚ガラガラとういようなお粗末なものでは何も出来ませんと宣言しているのと同じです。そんな物しか出せない支援者に希望される療育支援を得るのは非常に難しいと言わざるを得ません。
あきれ果てた、指導計画には、具体的な支援手法の記載がなく、ぼやっとした表現が中心で、その指導内容は具体性が欠けており、「○○を目指す。」とされているだけで、どのようにして目指すのかは伺い知る事が出来ないというような共通点があるようです。指導技術が欠落しているのか、知らないのか、やる気がないのか、怠けているのか、半年たっても1年たっても得られる結果は稚拙な物になってしまうと推察致します。症状の違うA君とB君の指導計画が同じ等という事は本来あるはずがないのです。
○○を目指すのであれば、どのように目指すのか具体策があるはずなのです。それが出来なかったとき、その評価方法、対策から具体的手法があってよいのではないでしょうか?目指すだけであれば、誰でも目指せます。
どう目指すかが問題なのです。どの手法が、やり方が取組み方が保護者の皆様にとっては一番大切な事であり、それらの記載がないのは出来ないと同一の意味を持つと思います。
学校の指導では通例カリキュラムに従った、指導案を作成するのですが、1コマの授業におても、非常に細かく指導内容が作成される事となります。国内の学校教育の根幹はカリキュラムと指導案にあるといっても過言ではありません。指導計画とはそれほど大切な物であるとご理解頂きたいと思います。
例えば小学校の国語の指導であれば、単元の目標、評価基準として、(関心・意欲・態度)(話す・聞く能力)(読む能力)(言葉についての知識・理解・技能)使用教材 主な学習活動として1次計画 2次計画それぞれに指導上の留意点が付加されます。これを事細かく考え、教材準備をして教壇に立たれているのです。そして更に板書計画等細かな準備の上に授業がなりたっているのが実情です。
施設によって非常に細かく勘案されている所もあれば、個人支援計画はあっても数か月見直されず、日々の指導案すら存在しない施設も少なくなさそうです。最初の施設見学の時に、しっかりとこのあたりの確認をされる事をお勧め致します。私が園長を行った幼稚園では、各担当教諭の一番大切な仕事の1つとして日案(日々の指導案)の作成を義務付けておりました。
適切な指導計画なくして、求める成果は得られないというのは教育現場の常識です。教員研修で最も大変なのは、指導案の作成です。初めて教壇に立つ先生にとって大切な命綱です。どこで笑わせるのか、何を例示するのか、どのように集中させるのか、詳細であればあるほど安心して授業ができるのです。特性が一定しない子ども達の指導であれば、なおさら準備が必要となるのです。
よほどのベテランになれば、腹案(何も準備しない事)でも指導できるかもしれませんが、徐々に指導精度は落ち最終的に行き当たりばったりになってしまいます。ベテランであっても、クラスの構成を考え、教材を研究し、どのように指導するとより効果が得られるのか最新の指導方法を取り入れて、如何に子ども達の力を養うか、一流と言われている先生方はみな周到な準備をして授業に臨んでいるのです。腹案では一流の座は守れないのです。素晴らしい授業や指導に準備は不可欠なのです。
評価が高い教育機関ほど精度の高いカリキュラムと指導案が準備されており、指導者に対しても、高い指導技術の習得を要求されているとご理解頂きたいと思います。
その7につづく